ファルクッチ委員会報告(1975年)について

イタリアのインクルーシブ教育の「マグナ・カルタ」と評価されているファルクッチ委員会報告について、何とも不十分であるが、現役時代に発行していた「Public Education Study」という小冊子に2,3回小論を書いたことがある。

 そのなかでPES No.6(2016年発行)に書いた一文をここに引用しておきたい。


   <国会でのファルクッチ>

② シモーナ・ダレッシオ(Simona D’Alessio) の評価


  1975年、フランカ・ファルクッチ上院議員は通常の環境における障害生徒の統合過程を支援することになる調査データをそろえるための全国調査をコーディネートした。それは統合教育(integrazione scolastica)の原則を支持するための調査結果をうるための調査を行う最初の試みであり、その時に初めて統合教育の定義が公的に示されたのである。ファルクッチ文書(1975年公教育大臣あて)は後の法的措置(1977年法律第517号や1992年法律第104号など)には見られないインクルーシブ教育の特徴が含まれているので、統合教育への過程の一里塚であった。この文書では、例えば、統合教育の過程への障壁は文化的なものや社会的偏見であって、子どもの生物学的情況だけではない、とされている。さらに、同文書は統合教育は全体の教育制度の変革、統合教育の方法論や概念の明確化と共に始まるとも述べている。となると、これは明らかに、個人の損傷(impairment)に焦点をあてる最近の立法措置(1992年第104法や1994年大統領令)に比べるとより「インクルージョン的な」立法手だてであった。同時に、同文書で使用されている用語は、障害の医療モデルにおいて依然として中心的役割を演じているものが多い。とくにその例は、障害を社会が治療すべき個人的な悲劇として捉えるときに見られる。これは、専門家の役割は統合教育の過程にとっては不可欠だとしたり、障害生徒に関する活動を行うために医療的診断に信頼を寄せていることにも見て取れる。ファルクッチ文書は伝統的な教育方法を再考する方法を検討しはじる立法的手だてに強い影響を与えた。しかしながら、この文書に内在していた挑戦的な思想は当初の力を失い、後の立法的手だてに見出すことはほとんどできなくなってしまった。(下線 引用者)

かつてイタリアで支援教員をし、後にイングランドでインクルーシブ教育の研究で博士号を取得したシモーナの評価は興味深い。周知のようにイタリアは「統合教育の先進国」として長いこと評価されてきた。その延長線上で、インクルーシブ教育についてもすでに完成の域に達しつつあるとの認識も広がりつつあるなか、彼女はイタリアの統合教育はまだインクルーシブ教育ではない、との批判的分析を行った。その理由として、イタリアの統合教育は依然として障害の「医学モデル」に基づいており、ほとんどの障害児が通常学校にはいるのもの他の生徒との関係づくりからは排除されていることを挙げている。

 こうしたシモーナの立場がこのファルクッチ委員会報告書と、それに続く立法行政措置についての評価に如実に示されている。もちろん、同文書自体については歴史的に評価してい

る。




嶺井正也の教育情報

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