誤解していたコミュニテイースクール:『教育改革の終焉』で教えられたこと

 市川昭午著『教育改革の終焉』(教育開発研究所、2021年5月)を読んでいたら、「あれ?!」と感じたところがあった。それは第Ⅵ章 公立学校の管理運営ー学校選択と運営参加」第五節「コミュニティ・スクール概念の混乱」の部分である。

 これまで私は、現在制度化されているコミュニティ・スクールは、小渕内閣の時に設置され、森内閣が引き継いだ「教育改革国民会議」の「教育を変える17の提案」で提示されたものがそのまま具体化したものと思い込んでいた。

 しかし、同書を読むと。「それは違う」のである。

 そもそも同提案で提言されていたのは「地域独自のニーズに基づき、地域が運営に参画する新しいタイプの公立学校(“コミュニティ・スクール”)を市町村が設置することの可能性を検討する。これは、市町村が校長を募集するとともに、有志による提案を市町村が審査して学校を設置するものである。校長はマネジメント・チームを任命し、教員採用権を持って学校経営を行う。学校経営とその成果のチェックは、市町村が学校ごとに設置する地域学校協議会が定期的に行う。」というものであった。

 だが、今日「コミュニティ・スクール」と称されているのは地方教育行政の組織及び運営に関する法律に基づいて組織される「学校運営協議会」を置く学校のである。文部科学省によれば「コミュニティ・スクール(学校運営協議会制度)は、学校と地域住民等が力を合わせて学校の運営に取り組むことが可能となる「地域とともにある学校」への転換を図るための有効な仕組みです。コミュニティ・スクールでは、学校運営に地域の声を積極的に生かし、地域と一体となって特色ある学校づくりを進めていくことができます。」というものである。(https://manabi-mirai.mext.go.jp/torikumi/chiiki-gakko/cs.html)

 そういえば、教育改革国民会議の提案の基本には、新しいタイプの学校を置くことで保護者に選択させるという意図があり、アメリカのチャータースクールやイングランドのアカデミーのような学校がイメージされるが、現実の「コミュニティ・スクール」は学校運営への住民・保護者参加の促すという意図が強くある。

 その点を市川先生は「コミュニティ・スクール概念の混乱」として分析されたものであろう。不勉強を恥じるのみである。


嶺井正也の教育情報

日本やイタリア、国際機関の公教育政策に関するデータ、資料などを紹介する。インクルーシブ教育、公立学校選択制、OECDのPISA、教育インターナショナルなどがトピックになる

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