インクルーシブ教育の原点を確認する

インクルーシブ教育の原点を確認する~サラマンカ宣言から25年から

    *本論文は2021年2月発行の『専修大学教職教育研究』第1号(創刊号)に掲載したものであるが、若干の校正を行っている。

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【要旨】

 1994年6月にユネスコとスペイン政府がスペインのサラマンカで開催した「特別ニーズ教育世界会議」で採択された「サラマンカ宣言」はインクルーシブ教育を国際的に初めて明示した文書であった。それから25年を経た2019年にはサラマンカ宣言を「遺産」として位置付け、あらためてインクルーシブ教育の重要性を確認する作業が行われた。本論ではその確認作業をフォローしつつ、まず、統合教育からのインクルーシブ教育への転換が明確になったのはサラマンカ会議の前段に行われた1992-93年の地域会議においてであることを明らかにした。次に、近年、社会的包摂とインクルーシブ教育の相互関連が論議されているが、それはどの時点あたりから関連するようになったかを検討した。しかし、この点については結論を得られなかった。

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はじめに
 1994年6月7日から10日にかけて、スペインのサラマンカ市でユネスコとスペイン政府が共同開催した「特別ニーズ教育世界会議」でサラマンカ宣言(the Salamanca Statement)と同行動枠組み(Framework for action)が採択された。昨年の2019年6月はそれからちょうど25 年周年にあたる。サラマンカ宣言・同行動枠組みでもっとも重要なのは、それまでの「統合教育(integrated education)」に代わって、国際文書として初めて「インクルーシブ教育(inclusive education)」を明記し、その重要性を指摘したことにある。

 これらを長畠(現在は、中西)綾子さんと一緒に日本で初めて訳し、『福祉労働 第74号』(現代書館)誌上で公表したのは1997年3月であった。翻訳と公表の経緯の詳細については同誌に譲るが、このインクルーシブ教育と養護学校義務化反対運動のなかで培われてきた日本の「共生・共学・共育」の理念や考え方とが合致していると考え、一刻も早く翻訳・紹介したく、かなり集中して翻訳作業を行った。とはいえ、存在自体を知ったのがなんと同宣言採択後から2年も経過していた1996年7月のことであり、翻訳刊行が上記のように1997年3月となったことは遺憾とするところであった。
もっとも肝心な「inclusive」になんという日本語をあてるか相当に悩んだが、ついに結論をだせなく、カタカナ表記にしてしまった。当時これを読んだ人々からは、聞きなれない言葉である、「インクルーシブ」とは何だ、簡単に説明してくれ」というコメントが多々なされた。それから20年以上が経過した今ではすっかり「人口に膾炙」しているⅰ。
 本稿はこの「サラマンカ宣言25周年」記念で確認されたサラマンカ宣言の歴史的、国際的意義を確認した後、長年、解明できていなかった次の2つ課題を検討するものである。
一つは、サラマンカ宣言で明確に示されたインクルーシブ教育という概念・用語は、いつ、どのように統合教育にとって代わって使われるようになったのか、という点である。この課題については1994年の「特別ニーズ教育・アクセスと質:世界会議最終報告書(World Conference on Special Needs Education: Access and Quality(Salamanca, Spain,June 4-10, 1994)Final Report)(以下、1994最終報告書とする)がもっとも適切な資料となった。
 二つ目は、サラマンカ宣言で確定するインクルーシブ教育と1970年代のフランスの社会政策に由来する「社会的包摂(social inclusion)との関係はいつの時点からかかわりあうようになったのか、という課題である。ありていに言えば、この課題については深めることができなかった、と言わざるを得ない。 


1.世界的遺産としての「サラマンカ宣言」
 サラマンカ宣言からまる25年を経た2019年の2つのトピックから「サラマンカ宣言」の意義を確認することとしたい。
(1)『インクルーシブ教育国際ジャーナル(International Journal of Inclusive Education)』ⅱ 特集号の発行
 2019年、同誌の第23巻第7・8号は「『サラマンカ宣言』がから25年(the Salamanca Statement: 25 years on)」という特集を組んでいる。インルーシブ教育に関するリーダーともいうべきメル・エインスコー(Mel Ainscow)、ロジャー・スリー(Roger Slee)、マーニー・ベスト(Marnie Best)の3人が連名で巻頭言(編集言)を書いている(2019)。それを読むと「遺産としてのサラマンカ宣言」がよく理解できる。
 書き出しは「サラマンカ宣言という遺産(legacy)」という節から始まっており、その概要は以下の通りである。
 サラマンカ会議の当面の焦点は「特別ニーズ教育」にあったが、会議の目的は普通の学校(ordinary school)を大改革し、インクルーシブ教育システムを実現することにあった。それはサラマンカ宣言のこのフレーズに明らかである。
 「インクルージョンへの方向性をもつ通常の学校こそが、差別的な態度と闘い、喜んで受け入れる地域を創り、インクルーシブ社会を建設し、万人のための教育を達成するためのもっとも効果的な手段である。さらにこうした学校は大多数の子どもたちに効果的な教育を提供し、効率性を高め、最終的には教育制度全体の経費節約をもたらす。」
 このサラマンカ宣言には多くの正当性があるが、主な三つは次の通りである。
 ①教育的正当性(educational justification):すべての子どもを一緒に教育するインクルーシブ学校は、子どもたちの差異に応え、しかも、それだからこそすべての子どもにとって利益となる教育方法を開発しなければならない。

②社会的正当性(social justification):インクルーブ学校はすべての子どもを一緒に教育することで差異に対する態度を変え、正当で、差別のない社会への基礎を築くことができる。
 ③経済的正当性(economic justification):すべての子どもたちを一緒に教育する学校を設置し、運営するのは、多様な子どもたちの分類に応じてそれぞれに異なる学校を設けるといった複雑な制度を作るよりも費用をかけなくて済む。
 こうした正当性に基づくインクルーシブ教育を明記したサラマンカ宣言・同枠組みは、障害のある生徒の教育だけでなく、各国の教育政策の方向性に大きな影響を及ぼしてきた。だが、同宣言・枠組みには後になって顕在化してくるあいまいな部分が存在した。それは、インクルーシブ教育への根本的は変化を押しとどめがちな「欠陥学的」特別教育の言説が存在したからであるⅲ。
 しかしながらインクルーシブ教育の大きな流れを阻止することにはならなかった。むしろそれを強化する形で2008年にユネスコはインクルーシブ教育を主題にした国際教育会議を開催した。そこで確認されたのは、すべて学習者が等しく大切であり、効果的な教育の機会を得る権利を有しているという広義のインクルージョンであった。
 その後、2006年に国際連合が採択した「障害者の権利条約」第24条はインクルーシブ教育システム・生涯学習について規定し、さらに2016年にはインチョン宣言(2015年)にもとづく「教育2030行動枠組み(the Education 2030 Framework for Action)」も採択した。ここで強調されているのは、万人のための質の高い教育の土台としての「インクルージョンと公平」という原則であり、あらゆる形態の排除や周辺化ならびにアクセスや参加、学習過程及び学習成果の面での不公平や不平等に対処することの必要性であった。
 こうしてサラマンカ宣言で確認された「インクルーシブ教育」原則は、すべての子どもたちのための教育における「インクルージョンと公平の原則」という広がりをもつ原則へと発展してきたのである。これを象徴するのがユネスコの「教育におけるインクルージョンと公平を確保するための案内(A guide for ensuring inclusion and equity in education)」(2017年)であった。

 巻頭言では続いて「サラマンカ宣言の経験」と題して、サラマンカ宣言の遺産を創り出したサラマンカ会議が熱気のなかで開催されたことなど当時の状況を説明した後、同会議の開催と成功を導いたキーパスンとして、当時ユネスコの特別教育部長だったレナ・サレー(Lena Saleh)を讃えつつ、同宣言の20周年記念で書いた彼女の次の文章を引用している。

 「サラマンカ宣言は変化のための扉を開け、変化のための強烈な刺激を与えた。・・・インクルーシブ学校とインクルーシブ教育は万人のためのより公平で正当性のある社会に向けた動きにとっての礎であり続けている。」(Saleh 2014, 39)
(2)「教育におけるインクルージョンと公平に関する国際フォーラム」最終報告書(2019年9月)(Last report for the International Forum on inclusion and equity in education – every learner matters, Cali, Colombia, 11-13 September 2019)
 ユネスコが2019年9月に開催した国際フォーラムのこの最終報告書の書き出しも「変化の時代におけるサラマンカ宣言の遺産」となっており、サラマンカ宣言は「遺産」であることを強調している。その内容の概要は以下の通りである。
 
 サラマンカ宣言は分離された学校のみが障害のある生徒たちのニーズにこたえる唯一の方法であるという考えを拒否し、特別な教育ニーズをもつ子どもたちや若者に対し通常の学校の門戸を開くことに重要な貢献した。サラマンカ宣言が喚起した変化を求める機運によって、障害のある生徒たちの学習機会を拡大する地方、中央そして国際レベルの政策や方策の発展を促してきた。さらに教育制度の条件を全体として改善したばかりでなく、社会にインクルージョンという展望をもたらすことにも貢献した。サラマンカ宣言が駆動力となった「万人のための教育」という課題によって、あらゆる人々の多様性を徐々に認知していくための敷石がつくられた。
 しかし、サラマンカ宣言に関わる楽観的な状況とは対照的に、現在は危機と不確実性の時代である。気候変動、戦争や対立による暴力、移民・避難民の劇的増加は教育を変革し、もっとインクルーシブなものにすることを求めている。20年以上たって、サラマンカ宣言の遺産に光をあててみると、国際社会は教育に多様性、民主主義、社会正義および平和を守り、促進することの意義をあたえ、強化する努力を続けることが本当に重要になっている。
 それゆえ、今回のフォーラムに参加した我々は万人のために教育への権利を保障し、持続可能な社会開発への移行するよう、より速やかに、そして決然と教育におけるインクルージョンと公平の促進を目的とする政策を実行するよう各国政府に要請しなければならない。
 
 ここにおいても、サラマンカ宣言の歴史的、国際的意義が確認されているといえよう。この確認を踏まえた上で、では、遺産と評価されるこのサラマンカ宣言にインクルーシブ教育という考え方、理念そして用語は、どういう経緯で入ってきたのだろうか、以下で検討する。
2.いつ、どのように統合教育からインクルーシブ教育へ転換したか
 アメリカでインクルーシブ教育研究をリードしているコツレスキー(Elizabeth Kozleski, 2016)らによると、インクルーシブ教育という用語が最初に登場するのは1980年代の研究書であるという。特別教育に代わるものとして使われるようになったこのインクルーシブ教育は、学校や学校システムの責任を拡大し、疎外された生徒の集団へのアクセス、参加、学習の機会を増やした。文化的レンズを使用して教育実践を構成する場合、インクルーシブ教育は、学習者と教員の間の協調的で相互に構成的で応答性の高い相互作用と見なすことができる、と説明している。
 しかし、それらが国際的文書としてのサラマンカ宣言のインクルーシブ教育として集約される過程については不明である。
 そこで参考になるのは、先述した1994最終報告書で確認できる、シーマス・ハガティ(Seamus Hegarty)作成の作業文書(working document)である。作業文書は1980年代のユネスコの特別教育に関する取り組みは統合教育の枠組内で行われてきたことを指摘した後、サラマンカ会議の事前準備としてユネスコが開催した地域セミナーについて紹介している。それによると、その地域セミナーはスウェーデン政府による財政援助のもと、1992/93年に、アフリカのボツワナ、南アメリカのベネズエラ、ヨーロッパのオーストリア、中近東のヨルダン、そしてアジアの中国で開催されている。その五カ所で開催された地域セミナーで確認された重要テーマは次の3つである、と指摘している。(下線 引用者)
 ①幅広い生徒のニーズに応えるインクルーシブ学校の創設には、高い優先順位が与えられるべきである。 これを容易にする手順には、特別教育と通常教育のために共通の管理構造をつくること、通常学校に特別教育支援サービスを提供すること、カリキュラムと教育アプローチを適切に修正すること、が含まれる。
 ②教員教育は、インクルーシブ教育を進め、通常学級の教員と特別教育の教員との協働を促進するものとする。これは、一般的な教員教育についても、専門家の現職教育にも妥当する。
 ③インクルーシブ教育に基づく先導的プロジェクトを確立し、地域のサービスに基づき慎重に評価する必要がある。 このような評価情報は重要な方法で政策と実践を導くことができ、国内および同様の状況を共有する他の国の両方に広められるべきである。
 これを見ると、1980年代の活動が統合教育の枠内にあったのと異なり、サラマンカ会議直前の地域セミナーでは「インクルーシブ学校・教育」が焦点になっていることが理解できる。この点についてサレーは「私たちはインクルージョンを支える新しい政策と実践に関する地域会議を世界の異なる地域の国々と協力して開催してきた」(Editorial: the Salamanca Statement: 25 years on,の中に書かれている )(下線、引用者)と語っている。
 周知のように1990年のジョミティアン宣言、1993年の国連の「障害者の機会均等基準規則」でもⅳ「インクルーシブ教育」は明示的には使用されていない。ましてや1989年の国連・子どもの権利条約ではなおさらのことであるⅴ。

  したがって、統合教育にかわってインクルーシブ教育にしようという意向は、ユネスコが地域セミナーを開催しようと決定した1992年前後から固まってきたものといえるようだ。

 サラマンカ会議の本委員会での実質的議論はテーマ1「政策と立法」についてのベングト・リンクビスト(Bengt Lindqvist)国連障害問題特別報告者により基調提案から始まった。そこで彼が強調したのは「障害の社会モデル」であり、「既存の政策と法律を根本的に修正して、コミュニティの生活における障害者の完全で平等な参加にとっての物理的および制度的障壁を完全に取り除く必要性」であった。いうまでもなく、インクルージョンを支えるのは「障害の社会モデル」である。

 サラマンカ会議での議論を追ってみると、参加者の間でインクルーシブ教育ではなく統合教育の立場にたった意見も見られたものの、スペインでのインクルーシブ教育理念にたった学校改革の紹介、カナダのピーター・ゴードン(Peter Gordon)がニューブランズウィック州での取組を踏まえて強くインクルーシブ教育を提起したことなどを受けてインクルーシブ教育をサラマンカ宣言の軸にすることに至ったものであろう。

 さらに、サラマンカ会議に置かれた起草委員会(Drafting Committee)のメンバーに世界銀行のジェームズ・リンチ(James Lynch)が「リソース・パースン」として入っていたことである。彼は世界銀行によるアジア地域の特別ニーズ教育について事例研究をまとめた際、これからは「インクルーシブ初等教育」が不可欠との観点をしめしていたからである(Lynch:1994)。つまり世界銀行も1994年以前に「インクルーシブ教育」という観点から特別ニーズ教育の在り方を考えるようになっていたということである。

 こうして、サラマンカ会議の閉会宣言で、デン・プーファン(Deng Pufang)中国障害者連盟会長が「本会儀で提唱された『インクルーシブ教育』という概念枠組は本会議参加者が設定すべき目標であることを全員一致で確認した」と述べたのである。

 こうみてくると、1992年あたりから統合教育からインクルーシブ教育への転換を図る動きが醸成され、サラマンカ前言に集約されるようになったと結論づけることができよう。


3.インクルーシブ教育と社会的包摂との交錯

 「EU特別ニーズ・インクルーシブ教育機構(European Agency for Special Needs and Inclusive Education)」がインクルーシブ教育と社会的包摂(social inclusion)の関連についての大々的な研究を行っている(2018:11)。

 そこではまず概念についての検討を行い、インクルーシブ教育について一致した定義は見当たらないとしつつも、それは人権であり、通常の学校、反差別・分離教育、質の高い教育にかかわる概念である点に共通性があるとする。社会的包摂についても定義が幅広く見られるとしつつも同研究では「貧困との闘い、脆弱な集団の社会的排除の極小化などにかかわる」としつつ、インクルーシブ教育を社会的包摂の構成要素の一つとしている主要な国際的報告者や条約に賛意を示して次のような結論を提示している。

 「この研究で、インクルーシブ教育が教育、雇用そして地域生活という三分野においてどのように社会的包摂を促進する手段として貢献できているのかが明らかになる。この研究では、インクルーシブ教育は学校教育を受けている期間だけでなく、学校教育期間後においても障害のある人々の社会的包摂にとっての重要な条件になっているという証拠を提示してもいる。またこの研究ではインクルーシブ教育で育った子どもたちは学校では仲間と活動に参加し交流する、教育資格や職業資格を獲得する、雇用される、経済的に自立する、などの面で可能性が高くなっている。一方、分離教育で育った子どもたちは社会的包摂の機会を最小化することも分かってきた。」

 またインクルーシブ教育の最先端地として知られているカナダのニューブランズウィック州でも「ニューブランズウィック地域生活協会が次のように説明している[New Brunswick Association for Community Living,]。

「障害のある人々の社会的包摂はどうすれば可能なのか? インクルージョンへの可能な経路はたくさん存在する。 幸いなことに、私たちの社会は学校や職場を障害者に開放することで良くなっている。 ニューブランズウィック州は、国内で最高のインクルーシブ教育システムを作り上げている。これは、より広い社会へのインクルージョンにとって大きな期待となっている。

  しかしながら、インクルーシブ教育を国際文書として初めて明示したサラマンカ宣言や同枠組み、そしてそれを採択したサラマンカ会議では「社会的包摂」という観点は示されていなかった。そこで示されたのは「インクルーシブ社会」である。すでに引用したサラマンカ宣言の「インクルージョンへの方向性をもつ通常の学校こそが、差別的な態度と闘い、喜んで受け入れる地域を創り、インクルーシブ社会を建設し、万人のための教育を達成するためのもっとも効果的な手段である。」という部分である。

 一方、社会的包摂はヨーロッパにおける社会政策理念として提起されたものである。日本学術会議社会学委員会・経済学委員会合同 包摂的社会政策に関する多角的検討分科会の提言「いまこそ『包摂する社会』の基盤づくりを」(2014,2)で、以下のように端的に説明している通りである。

 「欧州連合を始めとする他の先進諸国においては、現金給付を主要な手段として貧困を緩和する従来の社会政策から、より社会的統合とすべての人の社会参加といった社会的包摂を目的とする社会政策への転換が行われている。貧困緩和政策においては、貧困が発生する要因は所与のものとし、発生した貧困者に最低限度までの生活費を支給したり、職業訓練などによって貧困者自身の変容を求めていた。これに対して社会的包摂政策は、すべての個人がそれぞれの潜在能力を発揮できるように社会のありようを変容させようとする。」

 周知のように社会的包摂という用語は、フランスで1970年代に、障害者、ひとり親、無保険の失業者など「社会保険制度から除外された人々への政策的対応を表す言葉として使われるようになったものである。やがてフランスではさまざまな理由で周辺化された人々をどう社会に包摂していくかを考える用語へと拡大していき、上述の日本学術会議が示したようにEU全体での共通認識になってきたのである。

 こうしたフランスに起源をもちヨーロッパの社会政策の理念となった社会的包摂とインクルーシブ社会の実現にとってインクルーシブ教育が必要としたサラマンカ宣言の考え方とが切り結ぶようになったのはいつからか。

 この点について、榊原(2016;105)はアメリカの1975年の全障害児教育法で規定された「もっとも制約の少ない環境」規定以降展開されてきたアメリカやカナダのインクルーシブ教育論に触発されて「障害」問題を包摂/排除の関係性でとらえて、次のような理解を提示している。

 「このように、社会的包摂概念は、障害問題においても枢要な位置づけを占めるにいたっている。しかし、障害問題における社会的包摂/排除と、貧困問題に連なる社会的包摂/排除は、うまく接続されているように思われない。」

 確かに社会的包摂/排除論も、特に排除との関連で一定程度障害問題を意識している[岩田 2008:172f][Rosanvallan 1995=2006. 120-124]。しかし、包摂戦略を描く局面では、労働による社会参入[Rosanvallan 1995=2006.128]や能力主義的配分の貫徹[Young 1999=2007 3761]であれ、資産形成を基点とした社会的包摂[岩田 2008. 178]であれ、包摂の中で障害をどう扱うのかについてはあまり展開されてないようである。」

 しかしながら、1994年のサラマンカ宣言でしめされた理念や思想は、たとえば1995年の社会開発に関するコペンハーゲン宣言(Copenhagen Declaration on Social Development )の思想や理念と相互浸透するものであったのではないか。

 障害があるゆえに教育機会そのものから排除されただけでなく、通常の教育からも分離され、排除されてきたことをどう克服するかという観点から、通常の学校、そこでの教育そのものを変革していくことを通して障害のある生徒を受け入れ、障害のない生徒ともに学べるようにするというインクルーシブ教育がインクルーシブ社会づくりにつながるという思想や理念は、さまざまな社会的排除を克服しようとする社会的包摂と通底するからである。

 しかしながら、コペンハーゲン宣言も社会的統合どまりの段階であり、社会的包摂を全面的に展開しているわけではない。したがって、インクルーシブ教育と社会的包摂とが具体的にどのように交錯してきたのかは明らかにできなかった。次の課題としたい。




引用文献・サイト

榊原賢二朗『社会的包摂と身体』(生活書院、2016年)

日本学術会議社会科学小委員会「提言 いまこそ『包摂する社会』の基盤づくりを」

(http://www.scj.go.jp/ja/info/kohyo/pdf/kohyo-22-t197-4.pdf 2020年9月27日確認)

嶺井正也「障害児の学校教育はどうあるべきか」、子ども権利条約の趣旨を徹底する研究会編『子どもの権利条約と障害児 分けられない、差別されないために』(現代書館、初版1992年)

Elizabeth B. Kozleski, Iris Yu , inclusive education

(https://www.oxfordbibliographies.com/view/document/obo-9780199756810/obo9780199756810-0162.xml 2020年9月26日確認)

European Agency for Special Needs and Inclusive Education, 2018.

Evidence of the Link Between Inclusive Education and Social Inclusion: A Review of the Literature.

(https://www.european-agency.org/sites/default/files/Evidence%20%E2%80%93%20A%20

Review%20of%20the%20Literature_0.pdf 2020年9月20日確認)

Mel Ainscow, Roger Slee, Marnie Best, The Salamanca Statement: 25 Years On

「International Journal of Inclusive Education」(Issue 7-8,Volume23, 2019)

(https://www.tandfonline.com/doi/full/10.1080/13603116.2019.1622800 2020年 9 月20日 確認)

New Brunswick Association for Community Living, Social Inclusion

(https://nbacl.nb.ca/supports/social-inclusion/ 2020年9月26日確認)

Saleh, L. 2014. “Taking up the Mantle of Good Hope.” In Inclusive Education Twenty Years After Salamanca, edited by F. Kiuppis and R. S. Hausstätter, 149–169. New York: Peter Lang. ] UNESCO, Final Report World Conference on Special Needs Education: Access and Quality, Salamanca, Spain, 7-10 June, 1994

UNESCO, Final report of the International Forum on Inclusion and Equity in Education – Every learner matters, Cali, Colombia, 11-13 September 2019

(https://unesdoc.unesco.org/ark:/48223/pf0000372651 2020年9月27日確認)

参考文献嶺井正也・国祐道広編著『公教育における包摂と排除』八月書館、2008年

OECD Inclusive Education at Work 1999

レン・バートン、フェリシティ・アームストロング著、嶺井正也監訳『障害、人権と教育』(明石書店、2003年)

ⅰ 周知のように「障害のある人々の権利に関する条約」第24条の政府訳は「包容する」教育ではある、筆者は「包摂共生教育」を提言したことがある。

ⅱ 幅広く社会における排除問題とそれに対する対案としてのinclusionを理論的に扱う同誌の創設は1997年である。

ⅲ サ レ ー の こ の 文 章 は2014年 の“Taking up the Mantle of Good Hope.” In Inclusive Education Twenty Years After Salamanca, edited by F. Kiuppis and R. S. Hausstätter, 149–169. New York: Peter Lang.[ Google Scholar]にある。

ⅳ 同基准の「規則6」は「国家は,統合された環境( in integrated settings. )で障害のある人々に対する教育が行われることへの責任を有する」と明記した上で、主流の学校での教育はあらかじめ通訳者や他の適切な支援サービスを準備しておかなければいけない」としている。依然として「統合教育」どまりである、といえる。

ⅴ 同条約第23条は「統合教育」という言葉さえ明示されてはない。ただし、ポーランドが 1979年に再提出した原案には第12条に「教育におけるインテグレーション」が示されていたことなどから、基本的な理念として統合教育が中心であったといえる(嶺井、1992, 41)。したがって、最終的に確定した第23条は「医療モデル」による処遇が中心である。その意味で「社会モデル」にもとづくインクルーシブ教育が盛り込まれていたとは考えにくい。




嶺井正也の教育情報

日本やイタリア、国際機関の公教育政策に関するデータ、資料などを紹介する。インクルーシブ教育、公立学校選択制、OECDのPISA、教育インターナショナルなどがトピックになる

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