子どもの権利条約の視点から教育基本法改正政府案を読む

本稿は2006年7月に、同年12月に強硬された教育基本法全面改正を前にした書いた原稿である。>


 周知のように、国連の子どもの権利条約は1989年11月20日に国連総会で採択され、1990年の9月2日発効した。日本は政府による批准がおくれ、1994年5月16日になってようやく批准をした。その後、子どもの権利委員会が1998年6月5日に第一回総括所見を、2004年2月に第二回総括所見を日本政府に提出した。

  しかし、その総括所見による子どもの権利保障はなかなかすすんでいない。それどころか、子どもの権利条約に精神を踏みにじる教育基本法「改正」案が国会に上程される状況になっている。ゆゆしき事態だといわざるを得ない。

  子どもの権利条約の観点から教育基本法改悪の動きを批判的に検討した教育総研・子どもの権利条約と教育基本法研究委員会報告「教育基本法と子どもの権利条約」(『教育総研年報2005』労働教育センター、2005年)をも参考にしながら、政府案を検討することにしたい。 


 1. 権利主体としての子どもの観点なし  

 子どもの権利条約の最大の意義は、子どもを単に保護されるだけの存在ではなく、権利行使の主体として認めた点にあったことはいうまでもない。第12条の意見表明権から始まり、第13条の表現・情報の自由、第14条の思想・良心・宗教の自由、第15条の結社・集会の自由ばかりでなく、第31条の休息・余暇、遊び、文化的・芸術的生活への参加を権利条約は規定している。

  ところが、政府教育基本法案では、子どもの権利規定はまったくみられないどころか、第六条第2項では「教育を受ける者が、学校生活を営む上で必要な規律を重んずるとともに、自ら進んで学習に取り組む意欲を高めることを重視して行われなければならない」とする。子どもを学ぶ主体として位置づける発想や学校運営に参加し意見を述べるといった観点はここにはみじんも感じられない。


 2. 第14条が侵害される  

 政府法案では第2条で教育の目標を規定している。その第五号には、自由民主党と公明党の間であつれきのあった「愛国心」問題の妥協として、「伝統と文化を尊重し、それらをはぐくんできた我が国と郷土を愛するとともに、他国を尊重し、国際社会の平和と発展に寄与する態度を養うこと」が盛り込まれている。「思想・良心の自由」という観点からの批判を避けるために「態度の養う」に表現が変わっているが、外から確認しやすい態度を育成することを通して「国を愛する心」を教育しようという姿勢がみえみえである。  前述した第六条第2項の規定と重ね合わせると、規律を守るなかですすんで国を愛する態度そして心の育成を図ろうとするのであろうか。これは権利条約第14条が「締約国は、思想、良心及び宗教の自由についての子どもの権利を尊重する」と規定することに反する。  また政府案第十五条の「宗教教育」に関する規定で、現行法第九条の文言に「宗教に関する一般的な教養」という文言が入り込んでいる。さすがに「宗教的情操」という言葉は入らなかったが、今でも世界史や倫理などの科目で宗教に関する知識を教えていることを考えると、あえて入れた「一般的な教養」という言葉が「情操」を含むものになる可能性がないわけでない。やはり権利条約第14条との関係が問題になる。


 3. インクルーシヴ教育への視点がない

  子どもの権利条約の原案はポーランドが作成した。その第二次案では、「障害児は、可能な限り最大限、他の子どもに与えられるものと同様な条件の下で、社会的統合に向けて成長しかつ教育を受ける」というものであった(『子どもの権利条約と障害児』現代書館、1992年第1版)。最終的には権利条約第23条では教育だけを規定する項目はなくなったが、社会的統合に向けての教育サービスを受ける権利があるとしている。  この統合教育的視点は、やがてユネスコの「サラマンカ宣言」で示されるインクルーシヴ教育へと発展し、今、国連で検討中の障害者権利条約草案では、インクルーシヴ教育が基本となっている。

  ところが政府教育基本法案第四条第2項では「国及び地方公共団体は、障害のある者が、その障害の状態に応じ、十分な教育を受けられるよう、教育上必要な支援を講じなければならない」とする。これでは「特別支援教育」よりも後退した「特殊教育」観的発想であり、インクルーシヴ教育とは相容れない。  なお、子どもの権利条約はその第二条の差別禁止規定に、障害による差別の禁止を組みこんでいる。これは国際条約として画期的なことであった。指摘するまでもないが、政府案第四条の「教育上の差別禁止」のなかに「障害」は入っていない。


 4.家庭教育の内実を規定していいのか  

 よく知られているように、子どもの権利条約もその第十八条で「子どもの養育及び発達ついて父母が共同の責任を有し・・・第一義的責任を有する」としている。政府教育基本法案も第十条で「父母その他の保護者は、子の教育について第一義的責任を有する・・・」と規定している。これだけ見れば、両者に齟齬はないことになる。  しかし、権利条約は第五条子どもの権利や子どもの最善の利益の保障に際して「親の指導の尊重」を掲げている。ただし、親の指導の内実については何も規定しない。それは「家庭教育の自由」という近代法の原則があるからである。もちろん、子どもの生命への権利侵害を意味する「児童虐待」を認めているわけではない。 

 ところが政府教育基本法案では「生活のために必要な習慣を身に付けさせるとともに、自立心を育成し、心身の調和のとれた発達を図る」というように家庭教育の内実に踏み込んでいるのである。しかも、政府案第二条の「教育の目標」が家庭教育に及ぶとしたら、それはとんでもないことになる。 5.マイノリティの視点がまったく欠落している  先述した第二条第五号に見られるように、「伝統と文化を尊重し、それらを育んできた我が国と郷土を愛するとともに、他国を尊重し・・・」という規定のなかに、数多く存在しる外国籍の子ども、あるいは自分の国籍は日本でもどちらかの親がかつて外国籍だった子どもたちのことは視野に入っているのであろうか。 

 権利条約第二十九条は教育の目的を規定しているが、そこでは「子どもの父母、子どもの文化的同一性、言語及び価値観、児童の居住国及び出身国の国民的価値観並びに自己の文明と異なる文明に対する尊重を育成すること」が示されている。どう見ても政府案と権利条約が一致するとは思われない。  しかも、権利条約第三十条は「マイノリティ・先住民の子どもの権利」も取り上げている。こうした視点は政府案には見られない。  なお、権利条約第二十九条の教育の目的のなかには「人権及び基本的自由並びに国際連合憲章にうたう原則の尊重を育成すること」が示されているが、人権や基本的自由についての教育は政府案にはまったく見られない。

  国際条約に抵触する政府教育基本法案の撤回を強く求める。 

嶺井正也の教育情報

日本やイタリア、国際機関の公教育政策に関するデータ、資料などを紹介する。インクルーシブ教育、公立学校選択制、OECDのPISA、教育インターナショナルなどがトピックになる

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