伊集院九華の足跡 その2

  鹿児島県大隅地方の郷土史を研究しているグループのリーダーだった永井彦熊氏の論考「大隅の鴻儒九華と足利学校」(『大隅史談話 創刊号』所収)の書き起こし文章を引き続き掲載する

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九華歸國の意志

然し九華も寄る年波の繁くして故郷懐しくなったのであろう。学校は八世校主宗銀に譲り、大隅の故郷へ歸らんと発足した。時に永禄三年九華六十一歳、周易一百日の講義を終へ歸途についた。時に織田信長が駿遠参の雄   今川義元を桶狭間に破った年である。 此の事文選三十九巻末に左の如く記してある。

  九華六十一歳周易一百之会十有六度伝授

   之徒以上百人也欲赴郷梓之時云々

 とあり、此の戦国禍亂の間を歸らんとして相模の小田原を過ぐる時、太守北条氏康父子に嘱望されて六韜三略の兵法を講義した。

 父子は数旬に亘る講義を聴き九華の学の該博なるに敬意を表し可惜此人西海の果てに歸るを惜しみ、且つ又学校の後継者此の人に及ぶ者なきを嘆き、強いて歸国を思い止めしめ金沢文庫の朱版文選他数値の珍本を与へて強いて歸校を望んで子弟の尽力を願った。

 此の歸國を惜しんだ事は氏康の家臣宗甫より学校宛の文書に簡単ではあるが出ている。

  一 相続而被置学校能化大才之方無之処    此度之御歸國歎敷 被思召候事 

 二 畢竟可有御抑留之由 然御覚悟之通

    有之候可被御中止事 

       五月九日 

九華は氏康父子の懇望黙止難く遂に歸国を断念して其の贈られた金沢文庫の書籍を所持して再び教育振興に尽くした。

 足利学校蔵書栄版文選に金沢文庫の捺印あり第三九の巻末に自筆が載っている

 隅之産九華六十一歳欲赴郷梓 之時抑留次有寄進

 と標してある。

 其後孜々として学校経営の任に当り隆盛を極めたが、天正六年八月十日年七十九に歿すした。我が三州では島津貴久公歿後七年の後である。武田勝頼と信長と対陣の年で在職に二十九年であった。 

 九華の学問 

 (足利学校と学科

 足利学校は純然たる儒学の学校で上杉憲実の定めた日記に拠っても明らかである。

  三注  千字文注 古注蒙求 胡會詩注

  四書

  六経 

 列子、荘子、老子、史記、文選 他は講ず可らざるを禁ずる及ばずとある如く老荘も少しくやるが全く儒学以外には出なかったらしい。

 それは一代校主快元より九代校主閑室に至るまで学校に収蔵せる書籍を見ても明らかである。

 今蔵書の一覧を挙げて参考に資せよう。

   一、 周易注䟽(ちゅうそ)(孔頴達) 宋版二十五冊(タテ七寸二分、横五寸四分)

   一、 尚書注疏 孔頴達 宋版 上杉安房守憲実 寄進

 ・礼記正義  孔頴達  宋版 

・論 語    写本

 ・文 選  北条氏政寄進  司業九華の奥書がある  其 他 

・周 易   宋版  十三冊 ・後漢書   明版 ・古文考経  写本

 ・周 礼   宋版 ・春秋経伝抄 写本

 ・聖学心法  朝鮮版 ・史記抄   写本 

・三 略   活字本 

・周易注疏  写本 紹熙三年(一一九二)以前の刊行

  本書は陸子ぼう(陸放翁の第六子)の所蔵本であって毎冊自筆の識語がある。

  先君子手標以朱点伝之之大雪始晴 謹記 

 とある。清人徐致遠は之を見て稀世の珍宝と言っている。

 之等の本は日本には勿論支那に於ても珍籍とすべきものである。

・周易伝本 

  之などは支那には全くなく珍とすべきもの。 

・周易啓蒙通釈    古写本 

・周易啓蒙異伝    古写本  (とう序之牧)

 ・歸  蔵   写本 

  殷時代には易を歸蔵と言う。

 ・周易抄

 ・ 其 他 

・尚 書 詩類に於ては

 ・毛詩鄭箋

 ・詩伝綱領   毛詩抄 

・礼 記    古写本   鄭玄注 

  七世校主九華の訓点がある。

   巻一の卷末に左の奥書がある。 

   延徳二年(一四九〇)五月二十二日 

    建仁寺大童庵一牛蔵

     至徳二年(一三五八)六月十一日 

      以五条大外記 

    永和元年(一三七五)五月二日 

     以此本 候禁裏 御読記 

・礼記集説   元版  五冊   九華の手筆あり

 ・七書講義   十冊 

  古写本  宋施子美撰

   九華自筆の識語あり

    九冊尾に借大隅之産九益手 以印校校之 

文選は九華、氏政より戴いたものだけに九華の最も愛したものである。

 九華も氏政の誠意ある引き止めには感激したらしく一冊毎に其の理由を奥書に叙している。

 金沢文庫の墨印ある上に北条氏の名高い二寸角大の虎の印が捺している。 

毎冊の奥書は大同小異で既に前述しているが巻三十の尾を記すと。

  隅州産九華行年六十一時欲赴千郷里過相州太守 

 氏康、氏政父子聴三略後話柄之次賜之又請再住 

千謂堂 (巻三〇尾) 

此の蔵書の目録を一瞥するに、第一気付くのは易の書の多い事である。即此の学校が当時如何に易及兵書の講義に力を用いたるかは時代の反映とは言え当時戦亂の時代の人々の心理の程が窺はれる。

嶺井正也の教育情報

日本やイタリア、国際機関の公教育政策に関するデータ、資料などを紹介する。インクルーシブ教育、公立学校選択制、OECDのPISA、教育インターナショナルなどがトピックになる

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