すでに本日5月10日の拙ブログで、この発言への最初のコメントをかいたが、彼の講演を最初からきき、あらためて追加のコメントを書くことにした。
西田議員は冒頭で次のように発言している。
「日本国憲法の公布日は11月3日、今では文化の日であるが、以前は明治節、すなわち明治天皇の誕生日である。つまり、明治憲法といわれた大日本帝国憲法をなくして、日本国憲法に振り替えた、と。まさにわざわざ明治天皇の誕生日にやっているわけで、まさにこれは占領政策そのものなんですよ。要するに、アジア唯一の独立国で憲法をもった日本をアメリカが征服して、日本人に占領されたということを象徴的に分からせるためにこの11月3日に明治憲法をつぶしたわけです。」
いやあ、事実とはまったく異なるこんな認識がまかり通り事は、許されないことである。国立国会図書館の「資料と解説」にある「4-16 新憲法の公布日をめぐる議論」では、西田議員認識とはまったく異なる説明がなされている(下線は引用者)。
「1946(昭和21)年10月29日の閣議で、日本国憲法の公布日をいつにするかが検討され、まず施行日を翌年5月3日に設定し、その日から逆算して11月3日を公布日とすることに決定した。11月3日は明治天皇の誕生日(明治節)にあたるため、GHQ側の反応について閣内には一抹の不安もあったが、この決定に対してGHQから特に異議は出されなかった。しかし、閣議での決定前に、GHQ民政局の内部には、公布日として相応しくない旨を日本国政府に非公式に助言すべきであるとの意見もあった。また、対日理事会の中華民国代表も、10月25日、アチソン対日理事会議長に書簡を送り、明治時代に日本が近隣諸国に対して2回の戦争を行ったことを挙げ、民主的な日本の基礎となる新憲法の公布を祝うため、より相応しい日を選ぶよう日本政府を説得すべきであると主張した。しかし、アチソンは、10月31日の返信で、11月3日が公布日とされたことに特に意味はなく、日本政府の決定に介入することは望ましくないと書き送った。当時法制局長官であった入江俊郎は後にこの間の経緯について記している。」
国立国会図書館は国会議員の利用で優先される図書館であるから、其の正門は国会議事堂を向いており、一般国民は利用できないようになっている。しかしながら、国会議員である西田議員はこの解説は読んでいないようだ。勉強不足も甚だしい。
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