<目次>
はじめに
1.最大限の統合教育のための学校の在り方と条件
2.統合教育に向けたモデル 3.実施戦略
3.1 教育委員会設置の心理・社会・教育サービスセンター
3.2 国による心理・社会・教育サービスプログラム調整
4.母親学校について考察
5.中学校についての考察
5.1 教科間連携(interdisciplinarita)
5.2 柔軟な時間割編成
6.高等学校における青少年の不適応問題
7. 教育良識の広範な普及による学校排除の克服
はじめに
当委員会は、ハンディキャップのある子どもの問題を解決する理想的な学校の仕組みを作り出す可能性は、発達、学習、行動上の困難さのある子どもも固有の成長の主体であるとの確信にある、という前提を立てて検討を始めた。かれらの中には、枠組みや現在の文化や社会構造によってかなり妨げられている、認識、行動そして人間関係面での可能性が実際に存在しているのである。学校の機能は文化性、社会性、市民性のそれぞれの面で、一人ひとりの子どもや若者の発達の可能性を広げることにあることを考慮すると、この可能性を発展させることが学校固有の課題となる。
なぜなら、たとえ同一の目的を目指す上で必要な保健・社会サービスの機関を考慮しなければならないとしても、教育活動と生徒個人の可能性とを結び付けなければならない学校自体が、障害のある子どもが余儀なくされる疎外の状況を克服するためのもっとも適切な仕組みだからである。こうした集中的な関与が特別の困難さのある子どもに関しては特に、予防という観点から、そしてまた誕生からずーと、そして就学前の期間中もずっとなされるべき診断、治療さらに教育という観点からも当然にも必要なである。それは可能であれば、また、効果があれば、原因を抑え、縮小し、除去するためだけでなく、二次的な機能障害の発生を回避するためにも必要なことである。
学校は、連続性のある社会化過程の機会を子どもに提供できる(まだ義務教育にはなっていない)母親学校の普及によって、予防や早期の恢復といった活動に貢献できるし、また、心理的身体的発達を妨げている困難さの適時的予防と克服と推進することができる。
しかし、母親学校の普及によるだけでなく、すべての学校構造、特に義務教育制度は子どもの発達可能性を閉ざす原因である人間的・文化的・社会的疎外といった状況を克服することに貢献できるし、そうしなければならない。こうした前提のもとに、本委員会は根本的な目標の実現にむけた戦略を追究してきた。
1. 新しい学校の在り方と十分な統合教育の条件
あらゆる障害者の周辺化を克服すること、それは人格の発達を促すためにすべての子どもや大人を真に受け入れることができるように新しい方法で学校概念を作り上げそれを具体化することで可能となる。ただし、ハンディキャップのある子どもが普通学校に通うことは最低限の共通の文化的目的達成を意味するものではない。
したがって、教育成果を評価する同一の基準は、これまでのような形式的な評価報告書の考え方とは違い、生徒の学習到達度だけでなく成熟度も含めた幅広いものであるべきである。
基本は、生徒自らが今まではほとんどが陰に追いやられていた潜在力に気付き、発達させることを可能にする、あらゆる表現形態を使った、よりつながりのある概念を確定することである。
学校生活全般に実際に豊かさをもたらすような新しい概念ができれば、それは生徒の活動や成功の可能性を実質的に提供し、公式の労働需要に対応できない生徒にとって非常に大事なことになる。
われわれは論理的で抽象的な知力(知性)の水準だけでなく、感覚的で機能的で、また実践的な知力(知性)も考慮し、とりわけ社会化の過程にも配慮するように、学習概念を広げるべきである。
こうした連続性のある学校経験は、「全日制(tempo pieno)」学校を実施するだけでは生じない。それは「全日制」がただ単に午前と午後との合計としてでなはく、それぞれに違いはあるものの学校の職員集団(学校外の文化的機関にもかかわっている文化、芸術・表現、レクリエーション・遊びのそれぞれの担当者、研究者、個人的及び集団的経験の担当者、社会化活動の担当者)が協力しながら計画し、実施する有機的で継続性のある時間の総体として理解されてこそ可能となる。
伝統的な教育方法よりも豊富で多様な実施形態を有機的に組織化し、多様な表現や体験を通じて生徒が成熟する機会を提供する学校においては、「主要教科」を教えることを意図した教育活動と「統合的」活動とを、そしてまた、「普通の」授業と補習的で支援的な活動とを区別することは難しくなる。
多様な学校活動のそれ自体は「主要」でも「統合的」でも、あるいは「普通」でも「補習」でもないが、授業課程が個人の、あるいは集団の成熟水準又はニーズに対応して評価されるようになれば、学校活動は豊かになる。
したがって、統一的で体系的は方法に関する基準の明確で、あいまいさのない解釈によってすべてのニーズが対応されるべきである。そうでなければ、生徒の学校生活時間に多様な契機が重複して存在することになる。こうした障壁は生徒を混乱させるし、また、統一的な学校時間計画で支援されることになる教員間の協力関係の芽を摘んでしまうことになる。
学校生活の計画が協力して実行されるようになると、保護者は子どもの能力を判断する責任のある「午前中の教員」と、子どもを遊ばせる(指導員や作家などによる)「午後の教員」との間の区別をしなくなる。
さらに、普通の学校活動と補習的で支援的な取り組みとを区別する傾向が確定されることもなくなるであろう。というのも、それらの豊かな関連こそが、共通の集団という環境において、活動と成長の可能性をすべての子どもに提供するという課題を果たせるからである。個別的な支援という利益のために、より刺激のある「普通の」生徒集団から分離するという不利益を選択することにならない方法を探る必要がある。したがって、また支援と補習のために通常の教育活動との関連性を求めれば、おのずと異なる水準の計画と検証をすることはできなくなる。
万人に妥当する学校活動という観点は、困難さのある生徒を他の生徒と一緒に活動させることであると翻訳するのは難しい作業である。追加的活動やリハビリテーションの活動も普通の教育活動と離れた場所で行われることがないように、完全につながりのある学校生活を実現することは、いま不完全な状況にある学校が発展していく過程の目標であり、準拠基準であると考えられる。なぜなら、多くの場合、教員配置や今日の学校が提供する具体的な組織づくりが困難な状況にあるからである。しかしながら、全日制学校に向けた計画のあらゆる段階において、困難さのある生徒の問題に十分に対応できるように、学校生活の発展という見通しのなかに統合の次元を取り入れることが重要である。
不適応の防止やその程度の軽減化を促す仕組みになるこうした基準は、まだ全日制になってはいない普通学校には適用されてはならない。
反対に、二重の計画が異なる機関に示されることになると、学校の慣習に避けられない不可欠の困難を加えるような新たな、あるいは根拠のない難題を持ち込むことになる。加えて、それはごく最初のうちから目標からそれるような刺激を生み出すこともある。
それでも最終的には二つ性格を有する「全日制」学校は困難のある生徒には望ましいものとなる。一つは、学級の硬直的な仕組みを克服する作業委員会を組織して、より効果的で、しかも硬直性のすくない方法をとることができることである。もう一つは、特に初等学校の場合にはより多くの教員との関係づくりができる可能性である。こうした状況だからこそ、各人のニーズに応じた対人関係の(硬直的ではなく、段階的に方法で作られる、1対1の関係から多重的関係まで)の調整ができるようになる。
本委員会は、一般的で不可欠の基本的目標の新しい在り方の実現を構想しつつ、具体的な仮説、たとえばつまりここに示したものから出発するよう段階的で、現実的な過程が着陸点となるように考えたのである。
0コメント