障害のある教師として私が学んだこと

この記事は2017年4月発行の"Educational Leadership"という雑誌のオンライン限定で掲載されたものである。下の写真で顔を見せているのは「低身長」のAlison Venterという先生がどのような経緯でオーストラリアの教員になったのかを振り返ったものである。

 その経緯はまさに「障害者差別」そのもののであった。

 彼女が生れたのはオーストラリアではなくアパルトヘイトが続いていた南アフリカである。両親は障害のある労働者を受け入れ多数雇用していたミッション系の病院で働いていた。だから両親はどんな理由であれ差別することは悪いことだと考えていた。彼女が地域の小学校に入学しようとした時、母親は校長に他の子どもたちと一緒に通います、と告げた。ところが、校長は彼女のような子どもには特別学校があるから、同校への入学は認められないと。納得がいかなかった母親は当時の法律の写しをもって県の教育長( province's Minister for Education)をたずねた。その法律には、その子の通常の学校(mainstream school)への入学が当該の子どもや他の子どもにとって危険にならない限り、そしてまた通常学校での教育がまったく役に立たないのでなければ、通常学校から排除されてはならない、と書いてあった。教育長との話し合いでは両親がよく使っていた用語は、法律行為(;egal action)、障害者差別(disability discrmination)、合理的調整(reasonable accomodation)だった。

 仕方なく教育長は彼女の知的能力を測ることにした。その結果、彼女の知的能力は高いという結果に。しかし、当該の学校管理者たちは、その点数はなにかの間違いに違いないと判断していたのだ。彼らは彼女の知的能力は低身長とおなじく低いとみなしていたが、それが裏切られた。いやいやながら彼らは彼女の進歩を監視することを条件に入学をみとめた。入学初日、彼女が学校を台無しにしたと、ある親が不平を言ってきたら、永遠にその通常の学校への通学は認められず、特別の学校か機関に入れられると言われたのであった。<続く> 

嶺井正也の教育情報

日本やイタリア、国際機関の公教育政策に関するデータ、資料などを紹介する。インクルーシブ教育、公立学校選択制、OECDのPISA、教育インターナショナルなどがトピックになる

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