2025.05.27 21:57伊集院九華の足跡 その2 鹿児島県大隅地方の郷土史を研究しているグループのリーダーだった永井彦熊氏の論考「大隅の鴻儒九華と足利学校」(『大隅史談話 創刊号』所収)の書き起こし文章を引き続き掲載する******************************************九華歸國の意志然し九華も寄る年波の繁くして故郷懐しくなったのであろう。学校は八世校主宗銀に譲り、大隅の故郷へ歸らんと発足した。時に永禄三年九華六十一歳、周易一百日の講義を終へ歸途についた。時に織田信長が駿遠参の雄 今川義元を桶狭間に破った年である。 此の事文選三十九巻末に左の如く記してある。 九華六十一歳周易一百之会十有六度伝授 之徒以上百人也欲赴郷梓之時云々 とあり、此の戦国禍...
2025.05.10 07:365月3日「憲法記念日」、沖縄での西田昌司議員発言へのコメント その2すでに本日5月10日の拙ブログで、この発言への最初のコメントをかいたが、彼の講演を最初からきき、あらためて追加のコメントを書くことにした。西田議員は冒頭で次のように発言している。「日本国憲法の公布日は11月3日、今では文化の日であるが、以前は明治節、すなわち明治天皇の誕生日である。つまり、明治憲法といわれた大日本帝国憲法をなくして、日本国憲法に振り替えた、と。まさにわざわざ明治天皇の誕生日にやっているわけで、まさにこれは占領政策そのものなんですよ。要するに、アジア唯一の独立国で憲法をもった日本をアメリカが征服して、日本人に占領されたということを象徴的に分からせるためにこの11月3日に明治憲法をつぶしたわけです。」いやあ、事実とはまったく異なるこんな認識...